京都伏見
観  音  寺
観音寺
太子山 観音寺
(たいしざん かんのんじ)
真言宗智山派(智積院の末寺)本山東山七条のお寺です。創建は不詳ですが、
寺伝によると秀吉による桃山城築城の頃に、
伏見向島に移され徳川家康により慶長6年頃(1601年頃)元の地に戻されたとの事で
1601年以前の創建と思われる。
また
口伝で醍醐寺の末寺とも言われていた。

本尊は、観世音菩薩立像、聖徳太子立像、不動明王立像。

私見ですが、
伏見の寺社に多い事なのですが、寺院の移転、鳥羽伏見の戦いにより
資料が残されていない事が多く、
また
寺院を維持していく事が大変難しいように思われます。

諸行無常
諸法無我
涅槃寂静


明治時代以前には、近鉄桃山御陵前駅(当時終着駅)の付近まで境内であったが、
駅の着工の為種々のお堂を集約し提供したとの事。
何故 北の終着駅であったかは、
明治天皇稜が伏見桃山城近くにあった為との事です。


十日まいり  毎年 8月9・10日行われています。
観音寺 観音寺 観音寺
観音寺 『拾遺都名所図会』には

本尊は観世音立像
(1尺5寸)。
常盤御前の守り本尊なり。

今真言宗の僧これを守るなり
とあります。
観音寺


常盤御前とは?

(ときわごぜん)

1138年(保延4年) - 1190年(建久元年)
頃の平安時代末期の女性。


大河ドラマで有名な
源義経(牛若丸)
の母親

源義朝の妾(側室)となり、
今若、乙若、そして牛若(後の源義経)
を産む。
平治の乱で義朝が平清盛と戦って殺され、子供たちをつれて大和国の山中を
逃亡するが、
この伏見奉行所の地で母が捕らえられた。
平清盛の元に出頭して
、母と子供たちの助命を乞う。
常盤の美しさに心を動かされた清盛は
今若、乙若、牛若を
助命する


このページを作成にあたり、観音寺 住職に尽力を頂き 有難うございました。

観音寺

住職: 齋藤 亮賢 氏

住所:京都市伏見区観音寺町201
電話:075−611-4523


地図はこちら


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