京都伏見 
御陵  紹介
伏見の御陵
 伏見の御陵 明 治 天皇

伏見桃山陵

皇后昭憲皇太后

伏見桃山東陵
伏見の御陵
伏見の御陵 伏見の御陵 伏見の御陵
明 治 天皇
(第122代天皇)
(1852年生〜1912年没)

皇后昭憲皇太后
(第122代皇太后)
(1849年生〜1914年没)

名は睦仁
(むつひと)。
その功績から、
「明治大帝」「明治聖帝」
とも呼ばれる。

近代天皇制が確立した時期の天皇である。
在位は
1867年(慶応3年) - 1912年(明治45年)。
大政奉還、王政復古と戊辰戦争、
明治維新、日清戦争、日露戦争など
を経験し、
明治新政府の最高権力者として
祭り上げられた。
明治天皇の在位期間を「明治時代」と呼ぶ。


昭憲皇太后
(しょうけんこうたいごう)

旧名:一条 美子(いちじょう はるこ)、
明治天皇の皇后。
大正天皇の「嫡母」となる。
病弱で実子はなかった


維新期の皇后として社会事業振興の
先頭に立ち、
学習院女子部の前身である華族女学校や、
お茶の水の東京女子師範学校
(現お茶の水女子大)の設立、
日本赤十字社の発展などに大きく寄与した。
また、
生涯に三万首を超える和歌を詠み、
その一部が
『昭憲皇太后御集』
として伝わる。
崩御に際して「ロンドンタイムズ」は
彼女を高く評価した。

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